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権利行使と脅迫罪:内容証明で送る通知文の決まり文句について

交渉の相手方に対し、金銭の請求等を書面で通知する場合の決まり文句に、「請求に応じない場合は、民事訴訟の提起及び刑事告発を含むしかるべき法的措置を取らざるを得ません」といった文言がありますが、これが脅迫罪(刑法222条)に該当するか、という論点があります。

 

 

刑法222条1項

生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。
 
「脅迫」とは、人を恐れさせるに足りるだけの害悪の告知である、と解されています。かなり広い定義です。「訴えてやる!」(行列のできる法律相談所ふうに)と言われたら、恐れる人は多いはずなので、それも「脅迫」にあたるのではないか、というのがここでの問題です。
 
権利行使と脅迫、と呼ばれる論点ですが、大審院判例に、誣告を受けた者が真に誣告罪の告訴をする意思がないにも関わらず、相手方を畏怖させる目的で告訴をする旨の通知をすることは「権利実行の範囲を超脱したる行為」であって脅迫罪に該当すると判示したものがあります(大判大正3・12・1刑録20輯2303頁)。
 
しかし、この大審院判例に対しては、以下のような批判もあります。
 
実際に害悪を加える意思がない場合にのみ脅迫となるなどということはできないし、またその意思なく告訴すると通知するのは権利実行の範囲を超えるものと解することはできない。なぜならば、権利の実行は権利者の自由だからである。
 
(山口厚『問題探究 刑法各論』49頁(有斐閣,1999))。
問題探究 刑法各論

問題探究 刑法各論

 

 

実際に実現させても適法となる事実が、それを予告する場合には違法となるというのは奇異であり、また、そのような事実の告知によって害される安全感を保護する必要はないことから、違法な事実の告知だけが脅迫にあたると解するべきだろう。
 
(高橋則夫『刑法各論〔第2版〕』91頁(成文堂,2014)  
刑法各論

刑法各論

 

 

本罪は、告知そのものを処罰対象とするのであり、適法な事実を告知することが違法であるというのは奇妙である。違法な事実の告知のみが構成要件に該当するとみるべきであろう。
 
(中森喜彦『刑法各論〔第4版〕』49頁(有斐閣,2015)) 
刑法各論 第4版

刑法各論 第4版

 

 

222条の前身である旧刑法326条は、脅迫の手段を殺害や家屋への放火、殴打創傷その他の暴行、財産への放火・毀壊劫掠に限っていたのであり、それが狭すぎるとして脅迫とあらためられた現行法でも、およそ適法な行為の告知が脅迫たりうるとは思われない。
 
(松宮孝明『刑法各論講義〔第4版〕』96頁(成文堂,2016)) 
刑法各論講義 第4版

刑法各論講義 第4版

 

 

上記に引用した学説は、適法な権利行使の告知はそもそも脅迫罪の構成要件該当性がない、とするものです。
 
いつも的確だけど難しい、山口先生の教科書には以下のように書いてあります。
なお、「・・・」となっているのは中略部分です。
問題とされているのが、告知される加害は犯罪を構成するものでなければならないのか、である(山口:探究48頁以下参照)。加害を実際に実行しても処罰されないのに、その実行を告知すると処罰されるのは均衡を失するとして、告知される加害行為は犯罪を構成するものか・・・、少なくとも違法でなければならないとする見解が主張されているのである(中森47頁、曽根53頁)。判例・・・及び通説・・・は、加害行為はそれ自体として違法であることを要しないとしている。この問題は、脅迫罪の成立を肯定するためには安全感の侵害・危殆化を必要と解するところから、解決される。なぜなら、現実の侵害が処罰されず、それに対して刑法上保護されていない、害悪をうけないことについての安全感は、刑罰による保護の対象とならないと解されるからである。したがって、告知される加害行為は犯罪を構成するものでなければならないということになる。
 
(山口厚『刑法各論』76頁(有斐閣,2011)) 
刑法各論 第2版

刑法各論 第2版

 

 

保護法益を、意思活動の自由に対する危険ではなく、私生活の平穏ないし安全感である、と位置づけた上で、実際に訴訟したり、刑事告訴する行為は、当然ながら刑事罰の対象になっていないので、これはつまり、訴訟されないことについての安全感、刑事告訴されないことについての安全感は、刑罰による保護の対象となっていないということだから、結局、告知される害悪は犯罪を構成するものに限る、ということが山口先生の教科書には書いてある・・・と理解しました。
(久しぶりに山口先生の書籍を読んで、正確性を期するほどにややこしくなるという刑法理論の性質を思い出しました。)
 
適法な権利行使の告知は、弁護士であれば誰もが行ったことはあると思いますが、これが脅迫に該当しないことを理論的に整理しようとすると結構難しいものですね。
 
〔熊谷 真喜〕